Quantcast
Channel: アヴァンギャルド精神世界
Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

ハルビンの町の始まり

$
0
0
◎青年は女性を目指す

朝鮮銀行総裁の勝田主計の話。

『その勝田は、「明治三十一年に・・・自分が浦塩斯徳に居った時に余程面白い話を聞いて居った」と、露国がこの年ハルビンの町を開いた際の裏話をしている。

ハルビンの町は、黒龍江支流の松花江岸辺にある。一八世紀末、ロシア人がここへ進出してきたときは、辺り一面アへン原料の真っ赤なケシの花が咲き乱れていたという。

露国は、三国干渉の報酬として、明治二九年六月の露清同盟密約で、満洲北部を横断する東清鉄道の敷設権を獲得した。続いて三一年三月には「旅大租借に関する条約」を成立させて、東清鉄道のハルビンから旅順口、大連港に至る南満洲支線の敷設権を得た。

明治三十年四月に、オデッサを発った露国の鉄道建設隊は、予備調査を続けながら東進し、翌三一年五月にはハルビンに到着して、ここから鉄道工事に着手した。
総工費五億ルーブルに達したこの二つの鉄道は明治三六年に営業を開始した。両鉄道の結接点のハルビンは要衝の地になり、ここに露国が本格的な都市を造ろうとしたときに、勝田はこんな話を耳にした(露国がハルビン建設に投下した資金は、十月革命で露国がここから撤退するまでの二〇年間に、二億六千万ルーブルー-日本円換算二億六、八〇〇万円に達したという)。

「露西亜の官憲からして日本の貿易事務館に持って来て、今度哈爾賓といふ町を開く、就ては此町を開くにつき必要のものは女であるから、日本の醜業婦を二百人ばかりも哈爾賓に寄越して呉れまいか、相当な保護を与へて決してお前の国の迷惑になるやうなことはしないといふ話があった。

・・・・・其時は貿易事務館でなかなか議論があって例の国辱論もあったらしく到頭其照会に対しては承諾をしなかったらしい、併し事実として哈爾賓を開いたのは日本の醜業婦が最初に乗込んで行って、是が基礎になって段々人が集中して・・・三十七、八年の戦争頃には十数万の人口を有する大市街になった」』
(大陸に渡った円の興亡/多田井喜生/東洋経済新報社P34-35から引用)

戦争がからむと、しばしば住民の男女数比は崩れるものだ。維新前の長州などもそう。これは戦場ではなかったが、最前線の軍事的角逐地ではあるが、未開の地に街を開く場合は、アメリカ西部の町でも、満州ハルビンでも似たような状況があるということだろう。

「女をば 法の御蔵と 云うぞ実に 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む」一休

Viewing all articles
Browse latest Browse all 3535

Trending Articles



<script src="https://jsc.adskeeper.com/r/s/rssing.com.1596347.js" async> </script>