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エンリケ航海王子

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◎イスラム教徒と戦いキリスト教を布教

昨日口永良部島の大噴火があったが、ポルトガルも火山国。
エンリケ航海王子は、大航海時代の初めに位置するポルトガルの王子。彼は最終的にアフリカ北岸のセウタ攻略を手始めに、ギニア発見に至り、後の喜望峰到達の足がかりとなった。

特に評価されたのは、ボジャドール岬を越えたことである。
ボジャドール岬は、カナリア諸島の対岸、アフリカ北西の西サハラ岸にある、岬とはいえないほどのでっぱりである。

しかし、ボジャドール岬は、越えてはならない世界の最果てだった。というのは、ボジャドール岬の彼方には、「白人でさえ肌が真っ黒に焼け焦げになってしまうような灼熱の炎熱地獄が待ち受けている。そこには人間はだれも住むことができず、人間の居住地など存在しない。海は浅く、至るところに暗礁があり、潮の流れも激しい。そのため一度越えると、もう二度と戻ってくることはできない」という迷信があり、欧州の船乗りをためらわせていたからだ。

1434年、ポルトガル人ジル・エアネス船長が、ヨーロッパ人として初めて、ボジャドール岬を越えて航海することに成功した。

こういう遠征には金がかかるもの。アポロ計画もそうだが、こうしたフロンティア・プロジェクトは、国家財政を傾けるほどの費用がかかる。エンリケ航海王子も死後には巨額の負債があったという。しかしその資金の源流はテンプル騎士団に遡る。

テンプル騎士団は、ヨハネ騎士団、ドイツ騎士団とならぶ三大騎士団の一つでフランス人騎士により、1118年に創設。テンプル騎士団はシトー会の戒律に従い、中近東各地で軍務を行った。資金源は欧州王侯貴族や市民からの寄進。巡礼者がエルサレムに行く場合、欧州の騎士団支部に金を預託し、それをエルサレムのテンプル騎士団本部で受け取れたという。

14世紀初頭には1万か所の騎士団領を有していたほどだったが、1291年エルサレム陥落で、テンプル騎士団はキプロスに撤退。以後騎士団の軍事支出がなくなったので、膨大な資金は商業や金融などの経済活動に流れることとなった。これを王権の危機と見たフランスのフィリップ4世が、異端の容疑でテンプル騎士団全員を逮捕し、全財産を没収したのは、間一髪のタイミングだったかもしれぬ。
資金と武力を持った集団が国内にいるのは危険なことである。

ポルトガルでもテンプル騎士団は隆盛であったが、テンプル騎士団の所領・財産はキリスト騎士団に引き継がれ、そのキリスト騎士団のトップであったのが、エンリケ航海王子である。彼の航海の原資は、テンプル騎士団の金だったのである。キリスト騎士団は、ローマ教皇直属の組織だが、ポルトガル国王の命令も受けており、セウタ防衛は国王の意向だった。そしてキリスト騎士団の使命はイスラム教徒との戦いとキリスト教の布教である。

21世紀になってもキリスト教国は、イスラム教徒と戦い、キリスト教の布教を続けているのは、いかがなものか。

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