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愚かな人 法句経より

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◎メリットへの道、ニルヴァーナへの道

愚かな人 法句経より
『69 愚かな人は、悪いことを行っても、その報いの現われない間は、それを蜜のように思う。しかしその罪の報いの現れたときには、苦悩を受ける。

70 愚かな人は、たとい毎月茅(かや)草の端につけて(微々たる)食物を摂るようなことをしても、(その功徳は)真理をわきまえた人々の十六分の一にも及ばない。

71 悪事をしても、その業(カルマ)は、しぼり立ての牛乳のように、すぐに固まることはない。その業は、灰に覆われた火のように、(徐々に)燃えて、愚者につきまとう。

72 愚かな人に知が生じても、逆にかれには利益のないことになってしまう。その知はかれの幸(しあわせ)を滅ぼし、かれの頭を打ち砕く。

73 愚かな人は、偽りの名声を得ようと願う者がいる。修行僧らのあいだでは上位を得ようとする者がある。僧院にあっては権勢を得ようとし、他人の家に行って供養を得ようと願うものがいる。

74 「在家の人々も出家した修行者たちもともに、これは、わたしのしたことであることを、思い知りなさい。
また為すべきこと為すべからざることとについては、わたしの意だけに従いなさい」──愚かな人はこのように思いこんで、こうして欲も驕(おご)りもいよいいよたかまる。

75 まことに、一つは利得に達する道であり、他の一つはニルヴァーナにいたる道である。ブッダの弟子である修行僧は、栄誉を喜ぶなかれ。孤独の環境にあって修行努力すべきである。』

冥想修行するには、毎日食べることが必要なので、悪事を犯して余計なカルマに悩まされることは極力避けるべきである。そうしたことで食べられなくなるのは修行の妨げになる。

僧院、寺社内でも栄達を望む輩がいるのは古今東西変わらないが、冥想修行は、一人でやるものだ。馬を水辺に連れていけても、水を飲むのは馬なのである。

この時代、社会における自己実現が強調されるが、その基盤となる自分の意志はそんなに賢明なものなのだろうか。市民社会に暮らす市民の大半は冥想を知らず、この釈迦の言う「愚か者」に分類されるのではないか。

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