◎自分自身の悟りを問われる時代
戦前の日本人には、忠君、敬神、愛国、報国が基本だったが、敗戦により国家神道が崩壊したことなどで拝金だけが残った。敬神の気分だけは残っているが淡いものだ。
中国には、敬老尊師の気分は残っている。また愛国という言葉はあるが、報国という言葉はない。それは中国共産党幹部が数兆円を私しても恥じないのでわかる。
西洋でも愛国心はあるが私を減じて報国という発想はない。この点で中国も西洋も同根である。つもり中国も西洋も基本は拝金なのである。
戦前の日本はもともと敬神の厚かった国民をして国家神道の軛によって大東亜共栄の戦争に向かわしめた。これはスピリチュアルにかつ巨視的に見れば、日本人の持っている「精神的なものには価値がある」という価値観を世界に拡大しようという動きであった。
これに対して2千年前から、拝金でもって世界を統一しようというのが、中国であり、西洋であった。
長期的な視点からすれば、精神的なものに価値を認める日本が勝つか、拝金が最優先の欧米・ロシア・中国連合の角逐ということになるが、先般の敗戦で、一旦は拝金勢が勝ち、日本も軍門に下った。
この結果戦後日本は、国家神道の反動からか、欧米を上回るほどの或る意味で徹底した無神論国家になった。
このように、世界観の対立により、既に第二次世界大戦当時から、日本は世界を相手に一国だけ孤立していたのだから、当時から既に9分9厘の戦いをしており、1厘の側だった。
しかし精神的なものに価値を認める国と拝金国家の対立は、最終的に神に近い方に軍配が上がる。それを西洋陣営もわかっているからこそ、いまだに日本を叩いて叩きまくる。日本が叩かれるのは敗戦国で戦争放棄しているだけの理由ではない。日本人の精神力、精神構造を恐れているのである。
精神的なものに価値を認めるとは、敬神のこと。敬神を商売にしているスピリチュアル産業も、これまでは形を整えることである程度よしとされてきたが、これからは善男善女が自分自身の悟りを問われる時代になる。
そして神国日本とは、結局何人覚者を出せるかどうかが、滅亡か存続かの試金石になる。それが一厘の仕組み。
戦前の日本人には、忠君、敬神、愛国、報国が基本だったが、敗戦により国家神道が崩壊したことなどで拝金だけが残った。敬神の気分だけは残っているが淡いものだ。
中国には、敬老尊師の気分は残っている。また愛国という言葉はあるが、報国という言葉はない。それは中国共産党幹部が数兆円を私しても恥じないのでわかる。
西洋でも愛国心はあるが私を減じて報国という発想はない。この点で中国も西洋も同根である。つもり中国も西洋も基本は拝金なのである。
戦前の日本はもともと敬神の厚かった国民をして国家神道の軛によって大東亜共栄の戦争に向かわしめた。これはスピリチュアルにかつ巨視的に見れば、日本人の持っている「精神的なものには価値がある」という価値観を世界に拡大しようという動きであった。
これに対して2千年前から、拝金でもって世界を統一しようというのが、中国であり、西洋であった。
長期的な視点からすれば、精神的なものに価値を認める日本が勝つか、拝金が最優先の欧米・ロシア・中国連合の角逐ということになるが、先般の敗戦で、一旦は拝金勢が勝ち、日本も軍門に下った。
この結果戦後日本は、国家神道の反動からか、欧米を上回るほどの或る意味で徹底した無神論国家になった。
このように、世界観の対立により、既に第二次世界大戦当時から、日本は世界を相手に一国だけ孤立していたのだから、当時から既に9分9厘の戦いをしており、1厘の側だった。
しかし精神的なものに価値を認める国と拝金国家の対立は、最終的に神に近い方に軍配が上がる。それを西洋陣営もわかっているからこそ、いまだに日本を叩いて叩きまくる。日本が叩かれるのは敗戦国で戦争放棄しているだけの理由ではない。日本人の精神力、精神構造を恐れているのである。
精神的なものに価値を認めるとは、敬神のこと。敬神を商売にしているスピリチュアル産業も、これまでは形を整えることである程度よしとされてきたが、これからは善男善女が自分自身の悟りを問われる時代になる。
そして神国日本とは、結局何人覚者を出せるかどうかが、滅亡か存続かの試金石になる。それが一厘の仕組み。