◎あの世の仕組み
出口王仁三郎が、次のようにあの世の見え方を説明している、これでは予言があたらないのも当然に思える。
『第一八章 霊界の情勢〔一八〕
ここで自分は、神界幽界の現界にたいする関係を一寸述べておかうと思ふ。
神界と幽界とは時間空間を超越して、少しも時間的の観念はない。それゆゑ霊界において目撃したことが、二三日後に現界に現はれることもあれば、十年後に現はれることもあり、数百年後に現はれることもある。また数百年数千年前の太古を見せられることもある。その見ゆる有様は過去、現在、未来が一度に鏡にかけたごとく見ゆるものであつて、あたかも過去、現在、未来の区別なきが如くにして、しかもその区別がそれと歴然推断され得るのである。
霊界より観れば、時空、明暗、上下、大小、広狭等すべて区別なく、皆一様平列的に霊眼に映じてくる。
ここに自分が述べつつあることは、霊界において見た順序のままに来るとはかぎらない。霊界において一層早く会ふた身魂が、現界では一層晩く会ふこともあり、霊界にて一層後に見た身魂を、現界にて一層早く見ることもある。今回の三千世界の大神劇に際して、檜舞台に立つところの霊界の役者たちの霊肉一致の行動は、自分が霊界において観たところとは、時間において非常に差異がある。
されど自分は、一度霊界で目撃したことは、神劇として必ず現界に再現してくることを信ずるものである。』
(霊界物語第一巻18章から引用。)
霊界というのは、時空、明暗、上下、大小、広狭等すべて区別なく、皆一様平列的に霊眼に映じてくるとのこと。であれば、何年何月何日の何時にとある事件が起きるという予言をするのは、如何にも確定が難しいものであることがわかる。
また、一度霊界で目撃したことは、必ず現界に再現してくるとは恐ろしい法則である。
出口王仁三郎が、次のようにあの世の見え方を説明している、これでは予言があたらないのも当然に思える。
『第一八章 霊界の情勢〔一八〕
ここで自分は、神界幽界の現界にたいする関係を一寸述べておかうと思ふ。
神界と幽界とは時間空間を超越して、少しも時間的の観念はない。それゆゑ霊界において目撃したことが、二三日後に現界に現はれることもあれば、十年後に現はれることもあり、数百年後に現はれることもある。また数百年数千年前の太古を見せられることもある。その見ゆる有様は過去、現在、未来が一度に鏡にかけたごとく見ゆるものであつて、あたかも過去、現在、未来の区別なきが如くにして、しかもその区別がそれと歴然推断され得るのである。
霊界より観れば、時空、明暗、上下、大小、広狭等すべて区別なく、皆一様平列的に霊眼に映じてくる。
ここに自分が述べつつあることは、霊界において見た順序のままに来るとはかぎらない。霊界において一層早く会ふた身魂が、現界では一層晩く会ふこともあり、霊界にて一層後に見た身魂を、現界にて一層早く見ることもある。今回の三千世界の大神劇に際して、檜舞台に立つところの霊界の役者たちの霊肉一致の行動は、自分が霊界において観たところとは、時間において非常に差異がある。
されど自分は、一度霊界で目撃したことは、神劇として必ず現界に再現してくることを信ずるものである。』
(霊界物語第一巻18章から引用。)
霊界というのは、時空、明暗、上下、大小、広狭等すべて区別なく、皆一様平列的に霊眼に映じてくるとのこと。であれば、何年何月何日の何時にとある事件が起きるという予言をするのは、如何にも確定が難しいものであることがわかる。
また、一度霊界で目撃したことは、必ず現界に再現してくるとは恐ろしい法則である。